Motoki's帳面

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カサンドラ症候群

吉濱ツトムさんの著書、「発達障害と結婚」には、アスペルガー症候群の夫を持つ妻に現れやすい症状として、カサンドラ症候群が紹介されています。

 わかってもらえないことで自信を失う「カサンドラ症候群」

 カサンドラ症候群とは、アスペルガーのパートナーと情緒的な結びつきを築けないために生じる身体的、精神的症状のことです。アスペルガーの夫を持つ定型発達の妻に生じるケースが多く、コミュニケーションがうまくいかない、わかってもらえないことで自信を失なってしまいます。

  症状としては片頭痛や無気力、自己評価の低下、パニック障害抑鬱などがあります。

 

発達障害と結婚 (イースト新書)

発達障害と結婚 (イースト新書)

 

 

 この症状は、僕の妻が苦しんでいた症状とまるっきり同じです。

妻はもしかすると、僕のせいでカサンドラ症候群になっていたのかもしれません。もしそうだったのなら、本当に申し訳ないと思います。また、もしそうだったたのなら、どうしたら良かったのでしょうか。この著書には、対策として以下のようにも書かれています。

 このカサンドラ症候群ですが、アスペルガーの症状が軽く、本人がそれを治したいと思っている場合に限り治すことが可能です。

症状の軽いグレーゾーンのアスペルガーであれば、マニュアルでたいていのことは対応できます。「朝のゴミ出しと食器洗いは夫の仕事」などとマニュアル化しておけば、家事や育児に協力してくれるようになるでしょう。しかし、これはマニュアルをこなしているだけで、共感から生まれた協力ではありません。夫は相変わらず妻の話はムダが多くて聞きたくないと思っているし、自分から話しかけることもありません。

カサンドラ症候群とは、夫と暮らしていても共感や共鳴を感じられないことから起きるパートナー側の心身の不調です。僕の妻が共感や共鳴を求めていた部分で、僕は答えられていなかったのでしょう。例えば物忘れ。他人の話に基本的に興味が湧かない僕は、彼女の話の大部分を忘れてしまいます。例えば、彼女が友達といったお店の名前や、彼女との週末の予定(婚約後に、どちらかの実家でご飯を食べるという大事なレベルの予定でも)忘れます。また、物忘れだけでなく、うっかりミスがとても多いです。例えば、彼女が仕事に乗っていくために使う車のキーを、コートのポケットに入れたまま出社してしまったり、冷蔵庫に入れてあった鍋に入った状態の味噌汁を、コンロで火にかけて暖めたいのに、電子レンジに入れようとしたり(入れる段階で間違えたと気づきますが)、買い物中に、ふっと自分が何を買おうとしていたのか忘れてしまうなど、常にではありませんが、生活のほとんどの場面でこんな症状がありました。

彼女はこれを理解できませんでした。「夫は忘れっぽいんだ」と考えるだけではなく、「何でそんなに大事なことまで忘れるの?」と怒るようになりました。当然だと思います。普通忘れないことまで忘れて、しかも彼女に関する重要なことも忘れたりするので、彼女からすると、「どうでもいいと思われている」と思って当然でしょう。また、うっかりミスのように、効率の悪いやり方しかできない僕を見て、イライラしたりするのも、迷惑をかけたと思います。僕は自分がアスぺかもしれないと、もっと早く気がつくべきでした。アスぺの人は、興味の範囲が狭く、それ以外のことは無駄と感じてしまうため、常識的に見たら大切なことでも無駄に感じて、おろそかにしてしまう傾向があると思います。僕の場合、それは妻の入ったことを覚えることであったり、手順良く物事を遂行していくことでした。(仕事ではこうしたことがないよう、何でもメモをとりますし、手順もマニュアル化して早さを求めます。興味があるからです。)

まだ付き合っていた際、彼女が物忘れを怒るようになった時、僕はメモを取るようになりました。デート中に携帯に色々メモを取る僕を見て、彼女はそこまでしなくていいと言いました。僕はメモを取らないと忘れてしまうとわかっていたのに、彼女の言葉に甘えてメモを取るのをやめました。そしてまた物忘れを市まくり、彼女の怒りは何度も頂点に達しました。この時、彼女には何度か別れて欲しいと言われましたが、僕が「絶対に物忘れを治す」と言って、結婚まで持っていきました。結婚さえすれば、一生一緒にいるしかないのだから、彼女は僕の物忘れを許してくれるだろうと思っていました。結果はそんなに甘いものではなく、結婚してからも彼女は僕の物忘れに怒り続け、カサンドラ症候群になっていきました。この点は、僕の反省するところです。僕は、自分の物忘れが自分の悪い所だとは、少しも思っていませんでした。僕の両親も物忘れをします。僕と同じレベルではありませんが、僕に関する結構重要なことでも、忘れていたり、勘違いして理解していることが多々あります。自分本意の理解の仕方をするし、僕に興味が薄い所もあるのでしょう。僕は、そんな両親が当たり前だと思っていましたし、今まで彼女ほど深い人間関係を結んだ人はいませんから、僕の物忘れがどれほど駄目なのか、少しも理解していませんでした。今は、彼女の気持ちがわかります。自分が話した大事な話を、忘れていたり、間違えて理解されていたら、何のために話したのかわからなくなりますし、自分が大切に思われていない気がして、残念な気持ちになります。

しかし、僕が彼女にして欲しかったこともあります。アスぺかどうかは別にして、僕を変えたいと思ったなら、怒るだけでなく、話し合いをし、対策を一緒に考えて欲しかった。物忘れや、うっかりミスが多いのは、僕の性格の悪い部分であって、他の良い部分を見ながら、悪い部分の対策を一緒に考えて欲しかったです。つまり、「悪気はない」ということを、もっと見て欲しかった。悪気がなかったら何をしてもいいのか問われれば、決してそうではありませんが、僕だって彼女を悲しませたくなかったのです。彼女と対策を考えて、彼女が幸せに感じられる方法がわかれば、僕は喜んで努力しました。しかし、実際には彼女は怒るだけで、「あとは空気を読んで」という感じで、僕の「物忘れやうっかりミスを治して」と言うだけで、僕の言い分(どうしてもメモを取らないと忘れてしまうことや、手順を何度も体験して、マニュアル化しないと覚えられないこと)を聞いてはくれず、「そんなの自分で考えてどうにかして」と言って、相談に乗ってくれることはありませんでした。

彼女は、普通のことしか考えられない、思考の幅が狭い人だったのかもしれません。僕は彼女だけでなく、いろんな人に、いろんな失礼なことを必ずしてしまいます。その中で「仲良くなれる人」と、「僕を避ける人」と、「僕を嫌いになる人」に別れます。「僕を避ける」人と、「僕を嫌いになる人」は、僕の「おかしな言動だけ」を見て、僕を決めつけ、マイナスの評価を下します。逆に「僕と仲良くなる人」は、僕の「おかしな言動」だけを見ずに、「でも、Motokiにはこんな良い所があるよね。そこは凄いし、尊敬するよ」と僕のいい面を評価してくれます。残念ながら、彼女は、「僕を嫌いになる人」でした。この場合は、夫婦関係がよくなるためには、僕が別人に生まれ変わるしかありませんが、それができなかったので、今こうして別居し、離婚届を提出する段階になったのでしょう。

僕がアスペかどうかに関係なく、夫婦関係は歩み寄りが大切です。上記の著書には、カサンドラ症候群も、軽度のアスぺで本人が治したいと思っている場合に限り修正可能で、本人が、軽度のアスペだけど治すつもりがなかったり、重度のアスぺであったりすると、自分を改める必要性を感じていないため、修復は不可能と書いています。つまり「自分を改める」とは、「夫婦関係の修復を望み、そのために自分を変える気があるかどうか」なのだと思います。

確かに、僕のアスぺの症状のせいで、彼女は苦しみ、カサンドラ症候群になったのかもしれません。

しかし、「夫婦の歩み寄り」がそこにあれば、僕自身がアスぺを意識しなくても、彼女と仲良くなりたいとずっと思っていたので、僕にあった解決策を彼女と見つけて、楽しく暮らすこともできたと思います。

 

僕の悪いところは、すぐには治りません。

彼女が僕の悪い所が嫌いなのも、仕方ありません。

それを「夫婦の歩み寄り」で超えていくべきでした。

彼女は、僕の言い分を聞いた上で、自分の希望とすり合わせ、2人にあった答えを出すという、少し深い思考ができないタイプでした。

例えば、僕は初めての事には、何度もつまづきます。スーパーで買い物をすることだって、簡単じゃありませんでした。どこの棚に何があるのか、今商品はなぜこの値段なのか、この野菜の産地はどこなのか、どこの産地の野菜がいいのか、袋の入れ方はどうしたらいいのか等、いろんなことが気になって買い物に集中できません。そのくせ、どんくさいので、お目当ての商品の棚が永遠と見つけられず、スタッフの人に聞いたり、変な入れ方をして、卵を割ってしまったり、最初のうちはこうしたミスが人の3倍くらいあります。しかし、一つ一つ、相談したり、説明を受けたならば、自分の頭の中で正しい手順がマニュアル化され、それをもっと正確に早くやる方法を考えるようになり、ミスはしなくなりますし、動作も効率化されていきます。彼女には、僕のこうした特徴を説明して「初めて取り組むことでしてしまうミスは許してほしい」ことや、「後で僕はもっと効率的になるから、自由にやってミスさせてほしい」ことをお願いしましたが、彼女は受け入れてくれませんでした。「私の言ってるように、効率的に買い物して」としか言いませんでした。つまり、自分の願望を伝えるだけで、そこに至るまでの手助けは一切しなかったのです。こうした手助けこそが、僕が必要としていたものでした。また、こうした手助けが、「夫婦の歩み寄り」の一つなんだと思います。

 

彼女が片頭痛や無気力、自己評価の低下、パニック障害抑鬱に苦しんだのは、僕が原因かもしれませんが、彼女に「夫婦の歩み寄り精神」があれば、こうした症状には至っていなかったかもしれません。推測ですが。

もしかすると、「夫婦の歩み寄り」をしていても、彼女はその「歩み寄り」自体にストレスを感じて、こうした症状が起きていたのかもしれません。

 

いづれにしても夫婦は、「お互いに歩み寄って欲しい幅」と、「お互いに歩み寄れる幅」がイコールであるか、後者が前者より大きくないと、共同生活をしていくことが難しくなるのでしょう。

僕たちは、「歩み寄って欲しい幅」が、「歩み寄れる幅」より大幅に広く、お互いが不満を感じる関係で終わってしまいました。

この幅は、持って生まれたものだと思うので、どうしようもなかったのでしょう。

僕らの離婚は、やはり必然なんだと思います。