Motoki's帳面

考えを整理して置いておく場所です。

愛のあるセックスがしたい

最近の口癖です。笑

無性に人肌が恋しいです。多分、妻と別居して9ケ月になるからでしょう。セックスレスの方は数年単位になります。 

 

なぜ「愛のあるセックスがしたのか」。

そもそも愛のあるセックスとは何なのか。

 

「お互いのことが好きな人同士がするセックス」

「お互いが一番必要な人として、するセックス」

 

こんな感じでしょうか。

エーリッヒフロムという人は、「愛するということ」という本の中で、人間の根源的な欲求は孤独の牢獄から抜け出すことで、アルコールや麻薬、セックスは、その手段として用いられることがあるとした上で、セックスについて、下記のように語っています。

 

 セックスによる興奮状態の助けを借りるという解決方法は、それ(アルコールや麻薬)とはすこしちがう。性的な交わりとは、ある程度、孤立感を克服する自然で正常な方法であり、孤独の問題に対する部分的な答えである。しかし、ほかの方法で孤立感を癒すことのできない人びとの場合は、性的オルガズムを追求することは、アルコールや麻薬にふけるのとあまりちがわない。彼らにとって、セックスは孤立の不安から逃れるための絶望的な試みであり、結局は孤立感を深めてしまうことになる。なぜなら、愛のないセックスは、男と女のあいだに横たわる暗い川に、ほんのつかのましか橋をかけないからである。

 そして、アルコール、麻薬、愛のないセックスといった興奮状態を起こして、二つのものが一つになろうとする体験(合一体験)について、下記のようにも語っています。

興奮状態による合一体験には、それがどんな形であれ、三つの共通する特徴がある。第一に、強烈であり、ときには激烈でさえあること。第二に、精神と肉体の双方にわたり、人格全体に起きること。第三に、長続きせず、断続的・周期的に起きることである。 

要約すると、

①セックスとは、昔から人が孤独感を解消するために用いてきた方法である

②愛のないセックスは、孤立感を深めるだけ

③強烈で、精神と肉体に影響して、断続的・周期的に起きるインパクトの強い体験で孤独を解消することはできない

この3つだと思います。

 

逆に、愛のあるセックスであれば、孤独は解消される、というより、愛があれば、セックスする前にすでに孤独は解消されている、ということだと思います。

 

僕が「愛のあるセックス」を求めるのは、昔から家族や友達とうまくいかなかったり、自分一人の楽しみも特に見つけられなかった僕自身が経験した、「孤独を解消できる一番の経験であった」ことや、こんな自分とセックスしてくれる、という思いになれて、「自尊心が回復される手段」だったのかもしれません。

 

今、僕は愛に飢えているのかもしれません。

妻とは離婚直前。

家族とは以前よりかなり和解しました。

友達は、相変わらず少ないままです。

自分一人の楽しみは、まだ見つからないので、ストレス解消が下手です。

昔より改善されたことは、家族と仲良くなってきたことくらいでしょうか。

 

先日、後輩がこんなことを言っていました。

「僕の妻が、たまにセックスを求めてくるんです。自分が女として見られていることを確認したがっている感じで。僕はあまり乗り気じゃない日でも、ちゃんとします。」

彼がこうすることで、奥さんはきっと「愛されている実感」を肌で感じているのでしょう。もちろん、彼も「奥さんから求められる」ことで、それを感じているはずです。僕はこの二人がすごく羨ましく感じました。

「お互いに求めあっていることを、肌で感じるセックス」これも愛のあるセックスだと思います。

しかし、これと似て非なるセックスもあると思います。先にあげたフロムは、孤独な男女ほど、熱烈な恋をすると言っていますが、僕はこれを「孤独な男女ほど、熱烈なセックスをする」に置き換えてもいいと思います。後輩はこれには当たりません。熱烈なセックスとは、たぶん、回数が多く、セックスにかなり重きを置いている二人がするセックスだと思います。後輩夫婦は、そんな感じではありません。たまに、二人の愛を確認するためにセックスをしている、という感じです。セックスに重きを置いているとは、例えば若いカップルは、会うたびにセックスしているのではないでしょうか。これは、単に元気が有り余っていると言えるかもしれませんが、年をとった時より、「孤独」が多いから、回数も多いのかもしれない、とも思います。お互いの孤独を、セックスで埋め合わせている気がします。

 

僕は、自分を愛する(大切にする)のが下手です。

そして、他人を愛する(大切にする)のも下手です。だから離婚に向かっているのだと思います。

そんな僕が求めるセックスは、「孤独を癒したり」、「自尊心を修復するため」の愛の少ないセックスなような気がします。

つまり、「愛のあるセックスがしたい」と思うのは、「孤独」だったり、「自分に自信がないこと」の表れなのかもしれません。

 

自分を大切にし、他人を大切にし、小さな成功体験から自信を重ね、孤独を克服しない限りは、僕は幸せにはなれないでしょう。

 

僕は、そんな風に幸せになる「最短ルート」として、「セックス」に幻想を抱いているのかもしれません。

 

「愛のあるセックス」がしたいという口癖は、

「最短ルートで孤独を癒し、自尊心を回復したい」という思いの現れなのかもしれないと思いました。

 

そんなルートは、どこにも存在しません。

したがって、セックスしても、僕は孤独のままだし、自尊心は回復しないでしょう。

 

自分にとって何が幸せで、何が不要なものなのか。

その中に、妻は必要なのか。(必要か不要かなんて言い方はよくありませんが)

もう少し考えたいと思います。