Motoki's帳面

考えを整理して置いておく場所です。

ネガティブフィルター②

今日はネガティブフィルターの一つ

「家族という自分の人生の目標を手放したら、何を目標にして生きていけばいいのかわからないこと」について考えてみます。

 

そもそも、なぜ僕が「家族」を目標にしてきたのかからお話しします。

理由は、実家の両親の仲が悪く、家庭環境が良くなかったことから、暖かい家庭に憧れていたからです。

僕の両親は、高圧的な父親と、気は弱いものの意思は強い母親が、喧嘩ばかりしていました。父は仕事人間で、ストレスを家族に当り散らしていました。母は、仕切り屋の姑からのプレッシャーと戦い、姑の味方ばかりする父親と戦い、心も体も憔悴し、鬱病を患っていました。いつも家の中が暗く、楽しい時も、どこかに暗い影がつきまとう、そんな家庭でした。僕は、いつか自分の家庭を持つ時は、お互いを信用できて、言いたいことを言い合えて、笑いの耐えない、暖かい家庭を作ろうと思いました。それが僕の子供の頃からの夢でした。

 

今では、姑は亡くなり、父は退職し、母に対して謝罪を繰り返し、やっと少しづつ仲が良くなってきました。母は相変わらず鬱を患っていますし、父に対する怒りも、完全になくなった訳ではありませんが、喧嘩はだいぶ減りました。お互いを必要に思う気持ちは、以前より強くなったのではないかと思います。

 

誰しも、生まれてから、独り立ちするまでは、実家が「家」です。

「家」はその人の「補給基地」だと思います。

外でどんなに悲しいことがあっても、「補給基地」で「幸せ」を補充できたら、幸せに生きていけると思います。

「幸せ」とは、なんでしょうか。

僕の考える幸せとは、

①互いに支え合うこと(支え合うとは、「認め合う」、「信頼し合う」というイメージです。)

②経済的に余裕があること

③「楽しい」と感じられる時間を過ごすこと

④自分を大切にすること

以上の4つです。

 

この中で、①と③は、家族を作ることで、より強く感じられるものだと思います。家族でお互いに支え合い、家族みんなで楽しいと思えることをする。これが僕の理想の家族です。

 

もしも家族の一人ひとりが、こうした補給基地がなくても、幸せを感じられるタイプであれば、家族は必要ないでしょう。しかし、おそらくそうした人はいないでしょう。

 

人は誰しも、生まれながらに孤独で、誰かと一緒にいることを求めると思います。家族を作る理由も、友達を作る理由も、社会に属して働く理由も、根本的には「孤独」からの逃避だと僕は思います。

しかし、誰かと一緒にいるだけでは、孤独は無くならないとも思います。不思議なもので、誰かと一緒にいるよりも、その誰かを幸せにしてあげられた瞬間に、一番孤独が癒されると思います。自分の存在意義に気づき、この世界の中で、自分が存在する理由を確認できたことの安心感が、孤独を癒すのに一番効果があると思います。「誰かを幸せにする」ということは、「愛する」ということだとも思います。そして、それを向ける対象に一番なりやすいのが、「家族」だと思います。「なりやすい」と表現したのは、別に「家族」でなくてもいいからです。友達でも、見知らぬ人でもいいかもしれません。家族だから、という理由でその家族を愛せるのは、その裏に「見返り」を求めているようにも感じます。「私があなたを信用しているから、あなたも私を信用しなさい」という感じです。

 

一回冷静になって、「なぜ家族が欲しい」と思ったかの具体的な理由を思い出してみます。

それは、「家族だけが、僕の味方」だと思ったからでした。僕は人付き合いが下手で、性格もちょっと変わっていて、人と繋がるのが下手でした。必然的に友達はできませんでしたし、友達と信頼関係を構築することもできませんでした。そんな時に、もし家族が「そんなあなたも素敵だよ」と言ってくれたら、僕はどんなに嬉しかったでしょう。実際の僕は、仲の悪い両親が、お互いにストレスを抱えて生きていたことから、両親に気を使って、悩み事の相談なんてできませんでした。僕は、傷ついた自尊心を回復させる場所が欲しかったのだと思いますし、今でも、家族が欲しいと思う一番のモチベーションはそれです。では、自尊心が傷つかないようになったらどうなるのでしょうか。家族はいらない、と思うのでしょうか。自尊心が傷つかなくなったら、その分、自分と他人を愛したいと思うでしょう。自分と他人を愛することで、自分をより深く知り、自分に合った生き方を理解し、自分に合った人を愛するようになると思います。そうすると、自分に合った人と付き合う確率は格段に上がりますし、そういう人たちとの繋がりは、どんどんと強くなっていきます。その結果、また家族は欲しいと思うと思います。

 

実際家族には「傷ついた自尊心を癒す」機能と、「自分と家族、そして他人との関係を愛し愛される関係に変えていく」機能があると思います。

この行程をクリアすることで、「孤独」は癒されていくのかもしれません。

 

ただし、繰り返しになりますが、こうした関係性を持つ対象が家族である必要は、必ずしもありません。同居人の友達でもいいですし、同居していない友達でもいいですし、見知らぬ他人でもそんな関係が始まるかもしれませんし、誰でも構いません。

お互いに認め合い、時には傷ついた自尊心を癒し合い、お互いを愛することで、幸せになっていくと思います。しかし、やはりこうした関係が一番結びやすいのが、家族なのかもしれません。

僕が思うに、家族、特に両親から「お前はそのままでいいんだ」と言って貰ってきた人ほど、安心して自分を伸ばしていくと同時に、社会のルールも身につきやすいと思います。「自尊心を育てる」こと。これが、親からもらう最大の「ギフト」だと思います。

そんな場所である家庭や、家族は、幸せになるために、必要な場所なのかもしれません。

しかしこれは、自分が親の子であるという視点で考えています。自分が夫なら、親ならどうでしょうか。

やはり、夫でも、「あなたはそもままでいい」とありのままの自分を愛して欲しいと思います。

子供に対しては、自分が愛されたように、愛してあげたいと思います。つまり、「自尊心を癒して貰う」のでなく「子供の自尊心を育てて上がる」のです。

 

いろいろと考えてきましたが、僕が家族を欲した理由は

 

①傷ついた自尊心を回復させたかったから

②家族を愛することで、孤独の苦しみから抜け出したかったから

 

この2つだと思います。

 

離婚することで、これらができなくなる、のでしょうか。

 

妻と結婚生活を送る中で、「自尊心」は回復できたかというと、むしろ逆でした。妻に「性格が変わっている」と言われたり、「普通じゃない」と悪い意味で言われるたびに、自分に「足りないもの」を感じることが多い結婚生活だったと思います。理想の結婚生活や、夫婦関係は、「お互いの良い所に価値を感じ、悪いところには目をつぶれる(許せる)関係」だと思います。今思うと、結婚生活における僕は、いろいろ傲慢でした。妻への感謝が足りなかったと思います。僕のために家事をしてくれたり、そもそもあんなに見た目がタイプで可愛い妻と結婚できたことにもっと感謝しておれば、妻が潔癖症でイライラして当たってきても「可愛い」とか、「かわいそう」と思えたのかも知れません。実際には、イライラして怒りっぽい妻に、僕も怒り返し、お互いに罵り合いになり、その中で、売りことばに買いことばで、僕の自尊心を砕こうとする妻に不信感を募らせていきました。妻は、本気で私のことを「変わった人」だと思っていると思います。そして、それは自分でもそう思います。それが悪いとは思いませんが、妻は「悪いから直した方がいい」という意味で言っていたと思います。私の(一見すると)悪い部分にフォーカスを当てる妻よりも、私の良い所にフォーカスを当ててくれる人と一緒にいた方が私は幸せだと思います。しかし、妻があんなにも私の性格を非難したのは、そういう人を僕が半分意識的に選んだからだと思います。私自身、自分の「人と比べて変わっている部分」に負い目を感じています。つまり、僕自身が、僕のダメな所にフォーカスを当てながら生きているのです。自分のダメな部分を見たくない想いや、変えたい想いから、自分と正反対にいる人(あまり悩まない、空気が読める、友達が多い、見た目が綺麗)を結婚相手に選びました。妻から学び、そして変わろうと思ったのです。これにより、自分のダメな部分を彼女は受け入れられなくなることは必然的でした。わかっていたのに、いざ問題に直面してみると、予想以上に僕は変わることができませんでした。どう頑張っても、僕は僕のままなのです。不器用で、人情にもろくて、猪突猛進で、天然ボケで、気の弱い人間です。変えることのできない「自分」に気がつきました。そして、「それを含めた自分」を好きになろうと思いました。

 

それは、まさに「傷ついた自尊心を回復させること」につながると思います。

家族を持たなくても、僕には、自尊心を回復させる方法はあると思います。

①自分が好きなことをたくさんすること(ありのままの自分を肯定する)

②今の仕事に生きるスキルを所得して、できることを増やしていくこと(達成感を得て、自信を持つ)

③未来の仕事(副業)に生きるスキルを所得して、所得を増やすこと(生きる力を増やし、経済的な安心感=自信を得ること)

この3つを達成できれば、僕は自分の自尊心を回復させることができると思います。

しかし、①の部分は、凝り固まった心をほぐす必要があるので、親や兄弟に相談したり、カウンセラーを使うなどして、自分のやりたいことに向き合う方法を検討していきたいと思います。

 

そして、これらの取り組みを続けていった先には、「自尊心を満たされた自分」があり、さらにその先には、「誰かや何かを愛することで、孤独の苦しみから逃げ出すことができた自分」がいると思います。

 

そしていつか、成長した私を見て、好きになってくれる人がいたら嬉しいです。

成長しても私には良くない所もあるでしょう。しかし、そんな私の全てをひっくるめて、愛してくれる人と出会うことを願います。